あの頃のように古典が読めるようになりたい…!!

古典が読めなくなってる!?

 来月から国語の教員として働き始めるが、最近、以前と比べて古典が全然読めなくなっていることに気が付いた。はじめに自覚したのは、去年、教員採用試験に向けて勉強を始めたときだった。その頃の私は、自身の読み取り能力が衰えていることを全く自覚しておらず、かつ大学入試のころは国語が人並み以上にはできていた*1という自負もあったので、「専門科目は直前に対策を始めても問題ない」と高をくくっていた。
 そんなことだったから、専門科目の勉強を始めたのは、試験直前の6月(1か月前)だった。いざ解いてみたら、全然答えが合っていないのだ。その後も何問か解いてみたが、それでも答えが合わない。私はこのとき初めて、そもそも古典の問題文自体が読めていないのだということに気が付いた。

受験生だったころは

 私が高校三年生、つまり受験生だったころは、古典の問題はむしろ得意な方だった。しかしながら先日、受験生の時に使っていて、難なく解けていた問題集を改めて購入して問題を解いてみた。そうしたら、問題はいくつも間違えていて、その本文の内容はほとんど理解することができなかった。このことからも、古文を読む能力そのものが衰えていることは明らかだった。
 それもそのはずだ。高校生の頃の私は、古典の問題を毎日のように解いていた。受験に使う全ての教科の問題を毎日最低1題は解くようにしていたし、高校の授業でも週に3~4コマは古典を扱っていた。加えて、国語は最も得意な科目であったため、数学や世界史の勉強に飽きた時、気分転換代わりに古典の問題を解くこともあった。つまり、当時の私にとって、古典は身近な存在だったのだ。
 それに対し、大学に進んでからは、古文に触れる機会はほとんどなかった。1年に1~2コマ、演習の授業で扱う程度で、学期によっては全く古典を読まないこともあった。その数少ない古典を扱う機会においても、本文の上下に現代語訳や注釈が常に付されていたので、本文のみから内容を把握することはほとんどなかった。古典が日常から消え去ってしまったのだ。

使わないから錆び付く。

 記憶は使わない情報からどんどん引き出せなくなっていくらしい。優先度が低いため、引き出しの奥底に整理され、取り出しにくくなってしまうのだ。そのため、使わなくなった記憶をまた使えるように呼び覚ますためには、また使う記憶として呼び覚ますしかない。もしもまた当時のように古典が読めるようになりたいのなら、古典に触れることを当時のように習慣化するしかないのだ。
 教採の勉強を経ていくらか取りもどした古典理解力も、また最近錆び付いてきてしまっている。
 当時と生活習慣や日々やるべきことが変わってしまった今、全く当時のように古典の問題を解き続けるのは難しいかもしれないが、それでも少しずつでも油を注すことで、完全に錆び付いてしまわないよう、メンテナンスを心がけていきたいものだ。

*1:狭い世界で生きていたものです。。。